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大阪健康安全基盤研究所

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インフルエンザワクチン開発の歴史

掲載日:2018年5月31日

紀元前412年、ヒポクラテスはインフルエンザ様疾患について記載しており、インフルエンザは昔より人類を苦しめてきたことがわかる。初めてインフルエンザ様疾患の大流行について記述されたのは西暦1580年で、それ以降今まで31回も大流行があったとされている。その中でも1918年から1919年にかけて大流行したスペインかぜは人類の歴史上最悪の流行で、全世界で4千万人が死亡したといわれている。

 

インフルエンザの原因菌

スペインかぜは社会的に大きなインパクトを与え、世界中の研究者がインフルエンザの原因を明らかにするための研究を競って行った。当時は細菌学が急速に進歩した時代で、スペインかぜで亡くなったヒトより何種類もの細菌が分離されたため、それらのうちのどれかが原因菌と考えられた。特に分離される割合が高かったのはパイフェル氏菌で、多くの研究者がインフルエンザの原因菌と考えたのでインフルエンザ菌と呼ばれることになった。インフルエンザの予防にはワクチンが必要ということで、日本ではパイフェル氏菌に対するワクチンが開発され、1919年から1920年にかけて20万人以上に接種された。このワクチンは、発病を阻止する効果は低かったが、死亡率を下げる効果は大きかった(1)。インフルエンザはインフルエンザウイルスに感染して発症するので、なぜ効果が認められたのか不思議である。恐らく、インフルエンザの重症化には細菌の二次感染が関わることが多いので、このワクチンはそれを防いだのであろう。

 

生ワクチンの登場

ヒトのインフルエンザウイルスがSmithAndrewsLaidlawによって初めて分離されたのが1933年で(2)、直ちにワクチン開発のための研究が始まった。最初は生ワクチンの研究が世界各国で実施され、欧米、ソ連と日本の研究者が中心となってインフルエンザウイルスの弱毒化が試みられた(3)。有望だと思われた生ワクチンもあったが、多くは反応がないか強すぎたため途中であきらめられた。日本では奥野良臣(筆者の父)のグループが精力的に研究を行い、優れた生ワクチンを完成させた(4)。1万人以上を対象に野外接種実験を実施し、高い有効性を認めた(5)。しかし、このワクチンはアジアかぜ(H2N2)に対するワクチンであり、1968年を境にH2N2が姿を消し、香港かぜ(H3N2)が代わって流行してきたため日の目を見なかった。


不活化インフルエンザワクチンの登場

電顕写真全粒子インフルエンザウイルス電顕写真

生ワクチンより少し遅れて不活化インフルエンザワクチンの開発が始まった。初期の不活化インフルエンザワクチンはウイルス量が少なく、ほとんど効果がなかった。不活化ワクチンは生ワクチンよりも桁違いに大量のウイルス粒子が必要で、当時の技術では高濃度のワクチンを作製することは困難であった。この状況を打開するのに2つの発見が大いに貢献した。インフルエンザウイルスを発育鶏卵に接種すると大量に増殖すること(6)、及びインフルエンザウイルスは赤血球を凝集するという発見である(7)。これらの発見は、その後のインフルエンザ研究の必須の技術となった。発育鶏卵で増殖させたインフルエンザウイルスをニワトリの赤血球に吸着させ、少し温度を上げるとウイルスが遊出し、約10倍濃縮が可能となった。このワクチンは赤血球の成分を含んでいたため、ピンク色を呈していた。日本では、1951年にこのワクチンが初めて販売された。しかしこの方法でワクチンが製造された期間は短く、高速遠心機でウイルスを濃縮する方法に代わっていった。

 

現在のワクチンの製造法

初期のころはシャープレス遠心機が使用されたが、これで製造されたワクチンの精製度は十分でなかった。次いでゾーナル超遠心機が導入され、これにより現在の極めて精製度の高い優れたワクチンの製造が可能となった。ゾーナル超遠心機は原子力発電所でウラン濃縮のために開発された遠心機で、それをワクチンの製造に応用された。それでは実際にどのような過程を経てワクチンが製造されるのか、簡単に紹介したい。まずインフルエンザワクチンの製造に必要な受精卵である。一般の食料品としての卵と違い、養鶏業者はインフルエンザワクチン製造のために雌鳥と雄鳥を一緒に飼育する特別な鶏舎を用意しなければならない。そのため、ワクチン用の受精卵は食品用の鶏卵よりもはるかに高価である。受精してから1011日後の孵化鶏卵を用いるが、この時期には胎児の姿が明瞭に見える。ワクチン株を孵化鶏卵に接種すると、2日後には大量のウイルスが孵化鶏卵中の漿尿液に放出され、この漿尿液を取り出してワクチンを製造する。1個の孵化鶏卵から約10mlの漿尿液が得られ、その中には細胞の断片や卵アレルギーの原因となる夾雑物が含まれているので、先に述べたゾーナル超遠心機や精製カラムを用いて濃縮、精製する。現行のインフルエンザワクチンはほとんどの夾雑物が除かれた安全性の高いワクチンで、副反応を起こすことも希である。

  • 超遠心機

    生産用ゾーナル超遠心機

  • 採卵場

    ウインドレスタイプ ワクチン卵専用採卵場

 

新型インフルエンザが出現したら

毎年流行する季節性のインフルエンザに対しては、上に述べた孵化鶏卵を材料としたワクチンで大きな問題はないが、新型インフルエンザが出現した場合の緊急時対応には課題がある。雛を準備してから成鶏になるまで半年以上かかり、これが生んだ受精卵を用いて製品化するまでにさらに半年かかる。そこで、短期間に大量のワクチンが製造できる細胞培養によるインフルエンザワクチンが開発され、製造販売の承認を受けたワクチンもある。このワクチンを製造されるために使用されるのは大型のタンクで、外部への汚染の危険性がないため、高病原性の鳥インフルエンザであっても安全に製造できるのは利点である。

インフルエンザワクチンが開発された当初から、このワクチンの抗体レスポンスは満足できるものではないと認識されていたようで、免疫力を増強するアジュバントを加えたアジュバントワクチンの研究が精力的に行われてきた(8)。ワクチンに加えるアジュバントとして、初期には各種の鉱物油が使われていたが、ごま油やピーナッツ油などの植物油も検討されていた。しかし、アジュバントによる発熱や強い局所反応などのため、以後はアジュバントを加えないワクチンが主流になってきた。季節性のインフルエンザに対して、現行のワクチンは有効な抗体レスポンスを示すが、鳥インフルエンザウイルス(H5N1)に対しては免疫原性が低いことが明らかになった。そこで、H5N1ワクチンの剤形にはアジュバントとして水酸化アルミニウムを加えるワクチンが採用された。わが国では、アルミニウムゲルだけが唯一承認されたアジュバントであり、DPTワクチンなどで実績がある。海外のメーカーは、アルミニウムゲル以外にも各メーカーが得意とするアジュバントを加えたワクチンを製造、販売している。

 

インフルエンザワクチンの有効性と安全性

世界中で使用されているインフルエンザワクチンの種類は数多くあるが、有効性と安全性を兼ね備えた決定的なワクチンは一つもない。他のワクチン、例えば麻しんワクチン、風しんワクチンや日本脳炎ワクチンと大違いである。しかし、現行のインフルエンザワクチンは、製品としては極めて優れたワクチンであると言える。なぜ他のワクチンのように期待された効果が得られないのか、それはインフルエンザウイルスの特殊性とインフルエンザという感染症自体に原因がある。インフルエンザが毎年流行する最大の要因は、インフルエンザウイルスの抗原性が頻繁に変異することにある。次のインフルエンザシーズンに流行すると予測される抗原性を有したワクチンを接種するが、予測が外れた年には効果は期待できない。抗原変異に対応するため、我々は毎年ワクチンを受けなければならず、これは煩わしい上に経済的負担も大きい。インフルエンザはウイルスが気道粘膜上皮に感染し、それが直接発症に繋がる局所感染症である。元来、局所感染症に対するワクチンの効果は低く、インフルエンザワクチンもその一つである。以上のような問題を抱えたインフルエンザワクチンであるが、世界中の研究者がそれら課題を解決するため様々なチャレンジをしており、その中から最近のトピックスを紹介する。

 

最近のトピックス

インフルエンザウイルスの抗原変異の主体は、ウイルス表面上に存在するヘマグルチニン(HA)と呼ばれる蛋白質が構造を変化させるためである。理論的には、HAの中に構造が変化しない部位があれば、これを利用してどのインフルエンザウイルスにも有効なユニバーサルワクチンを開発できると考えられる。誰もその部位を見つけることができなかったが、初めて筆者がその部位を発見し、ユニバーサルワクチンの可能性について言及した(9)。長い間この発見は見過ごされていたが、約15年後にその重要性が再認識された(10)。その後、多くの研究者がこの部位を活用したユニバーサルワクチンの開発に取り組み、新たな試みも行われている。HA以外にもインフルエンザウイルスに共通する抗原部位があり、それらを利用したユニバーサルワクチンの研究が行われているが、実用化には至っていない。

インフルエンザウイルスは気道粘膜に感染するため、ここに免疫(主に抗体)をつけなければ感染を防げない。ワクチンを注射で接種すると、血液中にウイルスの感染を阻害する抗体が出てくるが、気道粘膜上にはその一部しか染み出てこない(血液中の約1/100の量)。そこで気道に直接免疫を与えるため、経鼻や吸入によりワクチンを接種する方法が以前より試みられてきた。この方法で接種される生ワクチンが欧米では実用化され、多くの人々に接種されている。一方、不活化ワクチンを経鼻で接種する方法も試みられており、その中心となるのが日本の研究者グループで、現在は実用化に向けて臨床試験が進んでいる(11)。その他の接種ルートとして皮内や皮膚表面への接種、経口的な接種などが研究されている。
 

これまでインフルエンザワクチン開発の歴史を振り返り、将来展望についても触れてきた。多くの研究者が試行錯誤して、いかに有効で安全なワクチンの開発に努力してきたかを多少でも理解していただけたかと思う。しかし残念ながら、インフルエンザの流行は毎年起こり、昔と何も変わっていないように見える。ただインフルエンザで重症化や死亡するヒトは減少しており、これにインフルエンザワクチンが貢献してきたことは間違いない。

まだまだ遠い道のりではあるが、インフルエンザの流行を抑えるだけの効果を有したワクチンが開発されることを期待したい。 

理事長 奥野良信

 


参考文献

  1. 大正七、八年/大正八、九年.流行性感冒流行誌、神奈川県警察部衛生課発行、1920
  2. Smith W, Andrewes CH, Laidlaw PP: A virus obtained from influenza patients. Lancet ii, 66-68, 1933.
  3. 奥野良信:インフルエンザ生ワクチン.総合臨床、53(6)1865-18702004
  4. 中村観善:インフルエンザ生ウイルスワクチンの研究.医学のあゆみ、38689-6941961
  5. Okuno Y, Nakamura K, et al: Prophylactic effectiveness of live influenza vaccine in 1965. Biken J 9: 89-95, 1966.
  6. Burnett FM: Influenza virus infection of the chick embryo lung. Br J Exp Pathol 21: 147-153, 1940.
  7. Hirst GK: Agglutination of red blood cells by allantoic fluid of chick embryos infected with influenza virus. Science 94: 22-23, 1941.
  8. インフルエンザのアジュバントに関する討論会.インフルエンザワクチン研究会Vol.1、1961年~1970年、細菌製剤協会発行
  9. Okuno Y, Isegawa Y, Sasao F, Ueda S: A common neutralizing epitope conserved between the hemagglutinins of influenza virus H1 and H2 strains. J Virol 67: 2552-2558, 1993.
  1. Chen GL, Subbarao K: Neutralizing antibodies may lead to universal vaccine. Nature Medicine 15: 1251-1252, 2009.
  2. Ainai A, Suzuki T, Tamura SI, Hasegawa H: Intranasal administration of whole inactivated influenza vaccine as a promising influenza vaccine candidate. Viral Immunol 30: 451-462, 2017.